ヤクルト・楽天などの監督を務めたノムさんこと野村克也さんがお亡くなりになられたというニュースがありました。昨年、ヤクルトスワローズの創設50周年のOB戦で、楽しそうにされていた姿が印象的だった方も多いと思います。今回は、プロ野球ヤクルト・阪神などの監督を務めた野村克也さんの経歴と、現在も受け継がれている考え方やID野球などのエピソードをご紹介します。



◎プロ野球ヤクルト・楽天などの監督を務めた野村克也さんの経歴


野村克也さんは、京都府竹野郡網野町(現在の京丹後市)の出身、峰山高校からプロ野球の世界に入り、捕手として南海ホークス・ロッテオリオンズ・西武ライオンズで活躍されました。1965年には最優秀選手と戦後初の三冠王(首位打者;打率1位・最多本塁打・最多打点)に輝いています(この年は敬遠の数も1位でした)。本塁打王は1961~1968年の8年連続・打点王は1962~1967年の6年連続で獲得しており、いずれもパリーグの記録です。


通算26年の成績では

打席数11940・打席数(四死球を抜いたもの)10472・犠飛(フライアウトだが走者を進められるもの)113・併殺打378(一度に走者も含めて複数人がアウトになること)の日本プロ野球記録を現在も保持


しています。また、ホームラン数657本も歴代2位です。


また、監督は南海ホークス時代に選手との兼任で、その後1991~1998年はヤクルトスワローズ・1999~2001年は阪神タイガース・2002~2005年は社会人のシダックス・2006~2009年は東北楽天ゴールデンイーグルスと5球団で歴任されました。



◎野村克也さんの逸話の数々


野村克也さんは様々な名言を残されたことでも有名です。『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。』『限界が見えてからが、勝負だ。』『一瞬のやる気なら誰でも持てる。けれども、持続性のあるやる気は、深く認識したものだけに宿るのである。』『一流になる人と、一流近くまでいきながら二流で終わる人の差はどこにあるのか。私は、「俺は俺」という強烈な自我の有無だと思う。』など、生きる上で非常に参考になる考え方も多くありました。そんな野村克也さんの代表的な逸話である、ID野球と野村再生工場についてご紹介しましょう。

●ID野球とは?


野村克也さんに関しては、様々な逸話が存在しています。代表的なのが『ID野球』と呼ばれるものです。Important Data の造語であり、感覚ではなくデータを重視することで科学的にチームの改革を図りました。似た言葉にはシンキングベースボールがありますが、これは南海ホークスでプレーヤー・コーチとして活躍したドン・ブレイザー氏に持ち込んだと言われています。


当時、精神論がまだまだ強かった時期に考えながらすることは斬新さがあり、それを選手兼監督の野村克也さんが広めようとしたのです。攻撃守備の両面で緻密なデータ分析に基づいて選手起用や作戦が考えられており、特に古田敦也さんは影響を受けて日本を代表する捕手となりました。


ミーティングを長く行い、メモをすることの大切さが言われていて、この記録して考えて行動に移す点では他のことでも応用できるアプローチでしょう。実際に、ID○○は後にバレーボールやサッカーなどでも用いられ、データを重視して戦うスタイルの草分け的な存在とも言われています。


●野村再生工場


野村克也さんは、トレードや自由契約となっていた選手を指導によって数多く復活されたことでも有名です。南海ホークスで選手兼任監督だった時代からエピソードがあります。江本孟紀氏は通算未勝利の状態で移籍しましたが、南海ホークスでの4年間で52勝を挙げました。また、2020年度よりヤクルトの監督に就任する高津臣吾氏にシンカーの習得を命じ、セーブ王4回の後に大リーグでも活躍しています。最近では、楽天ゴールデンイーグルスで4番で活躍した山﨑武司氏や、リリーフで活躍した小山伸一郎氏も復活組の代表格です。



◎野村克也さんの背番号、現在は誰が付けている?


野村克也さんのプロ野球生活は、背番号60で始まりました。これは1954年・1955年度シーズンのことで、1956年以降は背番号19を着用していました。南海ホークスは現在福岡ソフトバンクホークスになっていますが、2020年度は『甲斐キャノン』でお馴染みの甲斐拓也選手が付けると発表されています。ホークスでは野村克也さん以降は主に投手がつけており、捕手が付けるのは実に43年ぶりのことです。なお、野村克也さんは楽天の監督時代にも背番号19で、ヤクルトの監督時代の背番号は73(1990~1998年)・阪神の監督時代の背番号は82(1999・2000年)と73(2001年)でした。足した数字が10になるのは縁起が良いと好まれていたそうです。


◎楽天の監督、歴代の一覧

●野村克也さんが楽天の監督に就任する前


東北楽天ゴールデンイーグルスとは、2004年オフに新規参入したプロ野球の球団で、宮城県を本拠地に2005年よりパリーグに属しています。2005年度の初代監督は田尾安志さんで、この年は38勝97敗1分(勝率.281)で最下位に終わりました。新規参入時に合併して消滅する大阪近鉄バファローズの選手を優先的に獲得できなかったことも影響したのかもしれません。最初のキャンプでは背番号がユニフォームに書かれていないこともあったという逸話も残っています。まさに、一からのスタートだったのです。

●野村克也さんの楽天の監督としての成績は?


野村克也さんは、東北楽天ゴールデンイーグルスの2代目の監督として、2006年に就任されました。チームの再構築を期待されて打診を受けたそうです。70歳代での監督就任は仰木彬さんに次いで2人目で、「作る年・戦う年・勝つ年」と位置付けて3年契約がなされていました。2006年度に47勝85敗4分(勝率.356)の6位・2007年度に67勝75敗2分(勝率.471)の6位ながら徐々に勝率を上げていきます。そして、2008年度に65勝76敗3分(勝率.456)の5位と創設4年目で初めて最下位を脱出しました。2009年度には、77勝66敗1分(勝率.538)の2位で初めての勝率5割・Aクラスを達成しています。

順位勝利数敗戦数引き分け勝率
20066478540.356
20076677520.471
20085657630.456
20092776610.538


●楽天の監督、歴代の一覧


2010年度は、M.ブラウンさんが就任も62勝79敗3分(勝率.440)の最下位に終わりました。1年限りでしたから、広島でのご活躍の方が強い印象かもしれません。その後4代目に就任したのが、星野仙一さんです。2011年度は66勝71敗7分(勝率.482)の5位・2012年度は67勝67敗10分(勝率.500)の4位と徐々に上げ、2013年度に82勝59敗3分(勝率.582)で初のパリーグ優勝、初のCS(クライマックスシリーズ)も勝ち上がり、日本シリーズでは読売ジャイアンツを相手に4勝3敗の激闘を制して、東北の地に初めての日本一をもたらしました。また、星野仙一さんは以前に務めていた中日ドラゴンズ・阪神タイガースで指し遂げられなかった日本一を楽天で成し遂げたのです。


5代目は代行から監督に就任した大久保博元さんで、2015年度に57勝83敗3分(勝率.407)の6位でした。6代目は梨田昌孝さんで、2016年度に62勝78敗3分(勝率.443)の5位・2017年度に77勝63敗3分(勝率.550)の3位・2018年度に21勝41敗1分(勝率.339)で途中辞任されています。7代目は平石洋介さんが代行から監督に就任し、2019年度には2019年度に71勝68敗4分(勝率.511)の3位でした。また、2020年度は8代目の三木肇さんが就任すると発表されています。



◎まとめ


今回は、プロ野球ヤクルト・楽天などの監督を務めた野村克也さんについてご紹介しました。選手としては数多くのタイトルに輝き、監督としては5つの球団を歴任されています。


ID野球という考えながら行動していく姿や数々の名言には、野球でなくても役に立つような考え方が含まれているでしょう。野球ファンとして偲びつつ、今後のプロ野球の盛り上がりにも期待したいところです。最後までお読みいただきありがとうございました。

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