先日、一人の先生が亡くなった話を聞いた。

小学校のときに、その学校にいらした方。

まだ現職である中のご不幸だったという。

その先生には、小学校でクラスの担任をしてもらったわけでも、話をしたわけでもなかった。

しかし、その先生のことを鮮明に記憶しているのだ。

話を聞いて、十数年ぶりに鮮明に思い出すことがあった。



あれは、小学校3年生の時だっただろうか。

当時は校外学習に出かける機会も多く、市内のいろいろな場所に連れて行ってもらっていた。

その中で初めて出かけた公園でのこと。

しばらく散策して、走り回って遊んで。

そのうちにお昼の時間になり、私たちは仲良しグループで集まって弁当を広げた。

遠足のほのぼのした光景だ。



私もまた仲の良い友達と食事とおしゃべりを楽しんでいたが、ふと見上げると橋の上にその先生がいた。

同じように弁当を広げている。

でも、その周りには誰もいなかった。

独りで食事をするその姿がなんとも物寂しく感じた。

当時、その先生は担任を持っておらず、教務の一因として引率されていた。

先生を知る子どももほとんどいなかったことを踏まえると、無理もないだろう。

しかし、その背中は、幼いながらも私の記憶に刻まれていたのだ。



それからはその先生と関わることはなかった、

人との付き合いがうまくはない私だったが、

あれから15年ほど、私は学校を順調に卒業し、社会へと羽ばたこうとしている。

先生も教務から順調に昇格し、学校を任せられるまでになっていたらしい。

その中での訃報、当時の記憶が一気によみがえったのである。

「変わった人だった。」私にその話をしてくれた人は言った。




いつも通り、私は大学から戻ってきた。

ふと目の前を見ると、葬儀会場のホールが。

ここに先生はいる。

その場に行くのは気が引けたので、参列はしていない。

でも、会場が見える場所からふと思いをはせた。

あの背中は、私に何を語っていたのだろう。

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