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大阪万博に10回通って得た学び|外出が苦手になった筆者が「行ってよかった」と思えた理由


「大阪万博に行って良かった」こうした声が増えてきた10月中旬。外出が苦手になった、出かけると疲れるうえに体力の回復にも時間がかかるため、家からほとんど出ない筆者が、合計10回、仕事ではない日でも通うようになったのはなぜなのか。今回は、外出が苦手な視点で、大阪万博に行ってよかったと思えた学びを、5つの観点からご紹介します。


◎小さな積み重ねが大きな結果を生む|アーリーアダプターの例に学ぶ市場開拓戦略


当初は、関西地方はおろか筆者が勤務している大阪でもほとんど話題になっていませんでした。「万博始まったらしい」程度の認識です。ご存知の通り、この時期に行っておけば、終盤には予約限定・3~5時間待ちのパビリオンでもすぐに入れたところが多く、時間的パフォーマンスは最大化されていたと言えます。情報がないため「行ってみたけれどもおもしろくなかった」というリスクはあるものの、入場するためだけに何時間も待つよりは体験した分だけ価値があるのです。アーリーアダプターの例として特徴的とも言えます。


実際に話題になり始めたのは「行ってみて良かった」という評判が少しずつ広がったタイミングです。4.5月に出かけた方の口コミが積み重なることで、「なら1回行ってみようか」と動き出す人が増えていきました。これは新市場開拓戦略やサービス提供にも共通していて、「それ良いよ!」と価値を伝える先駆者になれるかが重要でしょう。第一人者(ファーストペンギン)になるのは簡単ではありませんが、マジョリティ層が動く頃にはレッドオーシャンのため、少しでも早く動いて、試しておく価値があるのです。


筆者が初めて万博に出かけたのは、2025年5月23日。当時としては過去最多の入場者数でしたが、その後の混雑や気候を考えればまだ何とかなっていた時期です。中高時代の知人と13時半から7時間ほどの滞在ながら、昼食+フランス館を含めてパビリオン5か所を予約なしで入ることができました。夜の大屋根リングも一周している点も踏まえ、結果的にその後の9回の訪問と比較しても上出来でしょう。当時は誘われて行っただけでそれほど乗り気ではなかったものの、5月末まで限定で20%引きクーポンがつく通期パスを悩んだ末に購入したことが、今思えば大きな転機でした。


問題は、5月に初回来場しておきながら、次に行ったのが8月7日だったことです。しかもその日は仕事のあと甲子園にも立ち寄っており、既に混雑も暑さもピークで本気で満喫できたとも言えません。そこから9回通いましたが、ブーストをかけたのが遅すぎました。「仕事が忙しくて時間がなかった」それは言い訳になりません。9月〜10月は、金曜や土曜の営業業務を可能な限り早く終わらせ(差し迫ったもの以外は後回しにして)直行し、花火を見たりテイクアウトを買って帰ったりもできたのですから。しかし、この頃にはおすすめのものはほとんど大衆に知られており、売り切れも多い状況でした。部下に勧められた人気メニューも、結局最終日まで手に入れられませんでした。


また、チケットを取るのがいつも直前だったため、9時に入場できたことは一度もありません。最も早かったのは最終日の11時で、2か月前から枠を確保していた分です。しかし、同じことを考える人の混雑に巻き込まれ、結果的に事前に当たったパビリオンしか入れませんでした。見通しが甘すぎます。


一方で、5月に同行した知人はその日こそ2回目でしたが、その後も6〜8月にコンスタントに通い、海外パビリオンを制覇しました。また、朝9時の入場で、当日整理券を複数回獲得し、コンサートにも参加できたといいます。こういった少しの行動が差を生み出すことをまざまざと見せつけられました。筆者は、責任者を担当している事業所が当時はまだ今ほどスケーラブルな運用ができていなかったのと、6月・7月はイベント・撮影収録のチーフとして代えの効かない対応があったとはいえ、まだ先があるからと後回しにしていたことは猛省すべき点です。残念ながら、会社はあなたの人生に責任を取りません。何が重要なのか、そしてそれよりも大切なのは「何が緊急で、何が差し迫っているのか」、見極めを日常的に(長くても数日おきに)行う習慣を持つことが、次のチャンスを掴む鍵です。


◎接客の違いから見える、アンカリング効果の身近な日常例


万博に行って強く印象に残ったのは、「日本の接客ってすごい」ということです。会場にはさまざまな国のパビリオンがあり、それぞれの接客文化の違いがはっきりと見えてきました。ある国のレストランではメニューが見づらいうえに、スタッフもほとんど対応しておらず、周りの客同士で「これは●●という食材ですね」「このメニューはこんな感じですよ」と写真や実物を見せ合って情報共有をしていたほどです。その光景を見て、困っている人を自然に助け合う日本の文化とはまったく異なる空気を感じました。グローバル化が進む日本でも、いずれは親切丁寧が当たり前でなくなる可能性があるかもしれません。行動経済学で「最初の基準と比較して判断する」というアンカリング効果がありますが、マーケティングにおける日常例として接客の質もそれに通じるところがあります。つまり、丁寧な対応を受けると、他との違いが際立つのです。「困っていたら声をかける」といった当たり前の行動でさえ、極めていくことで確かな付加価値になり得ます。


◎省人化・効率化の先にある、介在価値を高めるための戦略


大阪万博で印象的だったのは、圧倒的な映像コンテンツの多さです。自国で建物自体を設計している国も多いにもかかわらず、どのパビリオンも屋内外を問わずディスプレイやスクリーンを大々的に設置していました。もちろん映像自体も非常に手の込んだものでしたが、PCやスマートフォン、テレビなどに日常的に接している者としては、むしろ設備そのものの存在感が際立っていた印象です。また、再生可能なコンテンツは、多忙なスタッフの負担軽減や運営の省力化にもつながっていました。筆者は責任者として接客に携わる傍ら、他事業所の支援としてマニュアルや動画を作成する立場でもありますが、「映像コンテンツは省人化・効率化における世界共通のスタンダード」であると改めて実感しました。「顧客に毎回同じ説明を口頭でしているから、時間も足りなくなるし疲弊するのだな」と痛感し、実際にこの学びを活かして、10月末のイベントに向けて動画を急遽制作しています。


また、スタッフの負担を軽減するという点では、参加者が自ら能動的に体験できる仕組みづくりも重要です。やり方がシンプルで、壁に書かれた説明を読むだけで理解できるもの(展示作品にも当てはまります)や、QRコードを読み込んで自分で体験を進める形式は、まさに「客が自ら満喫している状態」を自然に生み出すことができます。


一方で、「人がいるからこそ生まれる価値」も確かにありました。入口での呼び込みやダンス・音楽など、その国ならではの演出が話題を呼び、観客との一体感をつくり出した例も少なくありません。映像コンテンツが主流となったからこそ、スタッフによる笑いや臨場感を伴う説明、あるいはDJのように場を盛り上げるパフォーマンスは、むしろ新鮮で印象的でした。デジタルが当たり前になった今だからこそ、人でしか生まれない一体感・驚き・感動といった介在価値を高めることが、これからの時代にはいっそう重要になります。


◎迷ったら捨てるは後悔する?3つのエピソードで考える“捨てる選択”の判断基準


人生では、何かを選ぶたびに、同時に何かを諦める瞬間があります。ただし、迷ったら捨てるで後悔することもあるかもしれません。では、どのような判断基準で「捨てる選択」をすれば良いのでしょうか。ここでは、万博での3つの出来事を通して考えてみます。


①マルタレストランで選んだメニュー
X(旧Twitter)でもご紹介して過去6年では最も共感されたマルタパビリオンのレストランは、ラスト1週間でもほぼ並ばず、屋外で風通しが良く、座席から花火も見える穴場スポットでした。筆者が唯一2回訪れた店でもあります。初めて訪れた2025年8月29日(通算3回目の来場)には、2つのパスタメニューで迷いました。
「ウサギの骨付き肉」「タコ」


最終的に選んだのは「タコ」で、理由は2つです。
❶知り合いが既に「ウサギ」を注文していた
❷タコはマルタの名産品であり、日本との食感が違うと知って惹かれた
実際にタコは2回目も注文したくらいに気に入りましたが、「ウサギの骨付き肉」その後1か月後には提供終了となっており、結局食べられませんでした。今思えば写真だけ撮らずに一言「1つもらっても良い?」と伝えさえすれば良かったのに。


この場面では「知り合いが頼んでいるから」と選択を狭めたわけですが、残り期間が限られていることを考えれば、再訪する判断を早めにすべきでした。機会の有限性を意識しない先送りは、取り返しのつかない選択を生むことは肝に銘じておくことが大切です。


②夜の水上ショーの当選チケット

連日超満員だった夜の水上ショーは、筆者は2か月前の抽選で特別観覧エリアに当選していたにもかかわらず、そのチケットを捨てています。理由は3つありました。
❶入場枠の兼ね合い
万博の通期パスには「入場枠の日程で同時に指定できるのは3つまで」という制限がありました。当選したのは10月10日(金)、他に既に10月13日(月)の2日間の入場枠を取得しており、それまでの期間は残り1枠で順に入れていく予定でした。3回目の来場の8月29日(金)・4回目の来場の9月6日(土)までは問題なかったものの、9月10日前後から満員で入場枠が取れない日が出てきたことで一変します。9月15日(月)には知人とイタリア館の5時間待ちに挑戦する約束があり、9月20日(土)には中高時代の同級生4人が万博で再会することが決まっていました。シルバーウイークだった9月20日~9月23日は既に満員に近い状態で、年に2回会うかどうかの機会、しかも万博なら一生に一度ですから、「仕事があったとしても1時間でも合流したい、それなら”当時は”まだ青色の状態だった10月10日なら一度捨てても取り戻せるだろう」という判断でした。
❷一応観覧したことはあった
2回目となる8月7日(木)の来場時に、万博の大屋根リング海上エリアの高い位置で1時間半待ち、ショーを観覧していました(19:30~)。映像は逆向きで音も聞こえづらかったものの、全景を見渡せる場所で水と炎の演出が視界全体に広がるのは観覧席ではできない経験でした。その直後(19:57~)の花火の打ち上げ場所がすぐ近くだったことも影響して一定の満足感があり、「0回ではないから、最悪見られなくても仕方がないか…」という感覚だったのです。
❸並べば何とかなる可能性
多くの抽選に当選しなかった方々は観覧エリアの後ろ側やサイドに陣取っており、何時間も待機すれば前側からでも見られないわけではありません。この夜の水上ショーは特に情報が多く、見やすい席や比較も載っていたたため、「前側からも並べば見られなくもないだろう」と判断しました。

結果的に、この判断は「完全な失敗」ではありませんでした。5回目の来場となった9月15日(月)のイタリア館5時間待ちも、6回目の来場となった9月20日(土)の同窓会@万博も実現し、後日10月10日(金)の入場枠再取得にも成功しています。ただし実際には、9月20日(土)の枠は当日まで500回以上試行して取得した経緯があり、結果的に10月10日を捨てなくても(9月15日が終わった後に9月20日を取っているため)同じ結末だった点では後悔が残ります。


水上ショーはその後、7回目の9月26日(金)・8回目の10月6日(月)も含め、7日前・3日前先着・当日のいずれでも確保できませんでした。万博の状況は刻々と変化し、情報として出ていた見やすい場所も観覧席の待機列として立ち入り禁止エリアに変わっていました。最終的に、当初観覧エリアで見る予定だった10月10日の夜に、入れ替えのタイミングを狙って、予約なしで観覧できる一般エリアの中央・前から5列目を確保に成功します。(サイドは立ち見ばかりだったのに)偶然周囲が揃って座っていたおかげで見通しが良く、待ち時間も30分ほどで楽しめました。知人のように正面全景は見られなかったものの、中央部分を目に焼き付け、あらすじや音楽もこの日初めてはっきりとわかった点では最悪の中で最善の選択をしたと言えるでしょう。


③日本館への入場枠

日本館は2か月前抽選・7日前抽選・3日前先着枠・当日登録のすべてで長らく確保できず、ようやく最終日の16時ごろに1枠を取得できました。しかし、チケットが1人分しかなかったため、「知人と一緒に行けないなら」と即座にキャンセルしてしまったのです。今振り返っても、この判断は冷静さを欠いていたと言わざるを得ません。逃すと人生最期まで縁がない可能性も高い最終日・残りわずかという状況で、「一人でも行く」という選択肢を検討せず、相談もせずに手放したのは、焦りと疲労が判断力を奪う典型例でした。その後の時間を人混みの中で無為に過ごしたことも含め、最終的に「行かなかった後悔」だけが残りました。
(詳細:大屋根リングを回る→西ゲートのバス乗り場に向かう途中でセレモニーによる通行止めに遭遇→苦労して人混みを抜けてもバスの待ち時間は90分、花火には間に合わず断念→徒歩で東側へ移動するも、最終日ということもありどの場所も混雑していて、今までの観覧ポイントにも立ち入ることができず)


「捨てる選択」には、後にどの程度リスクを回収できるかを見極める視点が欠かせないです。その上で迷ったら捨てるで後悔しないように意識すべき判断軸は、
❶機会の有限性を意識すること(「次がある」と思うと決断を誤る)
❷感情に支配されているときは、一度立ち止まること
❸自分一人で抱え込まず、他者に相談すること
特に、焦りや興奮の中では視野が狭まりやすく、第三者の意見が冷静な判断を取り戻す助けになります。捨てる選択は、ただの「諦め」ではなく、次の可能性を広げるための決断です。だからこそ、「全く同じ機会は二度と来ない」という前提で、それでもなお手放す覚悟をもてるかどうかに真の判断力が問われています。


◎心の豊かさ・心の貧しさとは|万博が映した「見えない格差」


万博は、普段積極的な交流に乗り気ではない筆者にとって、「人と出会う場所」として非常に貴重でした。人数がそもそも多く、先述の通りスタッフが必ずしも丁寧に説明するわけではないため、偶然居合わせた(前後になった・隣に座った)人たちと協力し合ったり、情報共有をしたりする機会が多かったのです。おすすめの場所を教えてくれる人、話が弾んで普段していることにまで及ぶこともあり、職場の名刺をいただいたこともありました。知り合いは、とある海外パビリオンで何時間も並んで仲良くなった方に夜のショーの余りチケットをプレゼントされ、一緒に観覧したそうです(筆者は先述の経緯で観覧席に立ち入る縁がなかったので羨ましくて仕方がない)。


一方で、混雑が増すにつれて余裕のない人も多く見られるようになったのが印象的でした。特に最終日は、大屋根リングのフェンスでの場所取りをめぐって揉めたり、通路でぶつかって小競り合いが起きたりと、殺伐とした空気も漂っていました。入場にはそれなりの金額と交通費がかかるため、経済的に相当困窮している人は少なく、相関的にゴミが散乱したり落書きが多発したりするような治安の悪化はまだ目立ちませんでした。それでも、差し迫った状況になると人の心の貧富の差は顕在化され、他人を慮る余裕があるかどうかという形で、はっきりと現れるのです。


普段顧客として子どもにも接する立場として印象的だった出来事を紹介します。最終日、何をしようかと迷った末に気になっていた万博会場周回バスに並んでいたところ、一人の子どもが「こんなに待てない!」と泣き叫び始めました。この文章から5〜6歳くらいを想像するかもしれませんが、体格は小学校高学年〜中学生くらい、感情の調整が難しいタイプで、一人で行動しており親の姿もありません。本人の叫んでいる内容をまとめると、「一日数本だけ運行される自動運転バスに乗るためにスタッフに券売機へ案内されたが、それが勘違いで、実際には90分ほどの行列に並ぶ必要があった」ことへのパニックでした。泣き叫びながら周囲に怒鳴る状態が20分ほど続き、「もう帰ってやる!」と叫ぶ場面もありました。筆者も子どもと接する経験があるので、それが本意ではないことにはすぐ気づいていましたが、「どうぞ」と突き放す人がいてもおかしくない状況でした。ところが、周りの大人たちは共鳴してイライラすることもなく、その子の目線に合わせて話しかける人もいて、確実な対応によって徐々に落ち着きを取り戻していきます。結局、この自動運転バスの乗車券は売り切れとなり、筆者もその子も乗れませんでしたが、その頃には淡々としており、いかに周りが冷静に受け止められるかが大切なのかを改めて実感した時間でした。万博会場から出る前にもう一度周回バスで全体を見て帰ろうと思い乗った21時ごろ、偶然その子どもと再会しました。「またどこかでこのバスに乗れたら良いな」と笑顔で降りて行った姿を見て、「”最期に”これで終われて良かった」と、波乱続きだった最終日の心をようやく浄化できたのです。


◎まとめ


今回は、外出が苦手な筆者が、大阪万博に行ってよかったと思えた学びを、5つの観点でご紹介しました。大阪万博に行って良かった点は、アンカリング効果の身近な日常例
や介在価値を高めるための戦略など、今後の社会生活に役立つヒントだけでなく、アーリーアダプターの成功の例や捨てる選択の判断基準といった耳の痛い学びにも及びます。万博の学びをここまで残せたのは、「今日は行けるかな」の小さな積み重ねが大きな結果を生むことの証明でもありました。心が動く瞬間を逃さず掴むことが、次の一歩につながっていくのです。最後までお読みいただきありがとうございました。

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