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京大合格体験記『はじまり』~浪人の失敗からの学びと変化

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4年前の今日、2016年3月9日に、私はあこがれ続けた第一志望の京都大学農学部食品生物科学科に合格しました。そのときに書いた京都大学合格体験記を当ブログで初めて本文原文のままで公開します。


書いてからしばらくは怖くて見られなかった、入学当時はクラスメイト・サークルの仲間に話すこともできなかったこの話。4年間過ごすうちに、「京大に入ってよかった」と改めて感じる場面が多く、私の経験を通して何か伝えられることがあると考え、今回の公開を決断しました。


京大に限らず浪人されている方などは一浪して全落ち(失敗)したらどうしようと辛いときもあるかもしれません。私自身の人生の礎と言えるこの時間、今でも活かせる気持ちや姿勢にどのような変化があったのか。京都大学を目指して浪人されている方のみならず、この記事をご覧になった方に生きることへの後押しになれば幸いです。


京都大学合格体験の記録『はじまり』

◎京大不合格体験記:一浪して全落ちで二浪へ、浪人に失敗した原因


京都大学を志望した理由は、周りのクラスメイトの多くが志望していたというごく単純なものであった。


その頃は特にどこか特定の学部に進学したいというわけでもなく、漠然と京都大学に憧れていた。中学から六年間過ごしてきた仲間は、だいたいが京都大学か東京大学か医学部の志望だった。彼らはもちろん苦労もあっただろうが、私からしてみれば苦労なく学校の授業について行き、いとも簡単に志望校へと合格していった。


私は高校どころか中学一年生の最初から落ちこぼれで、もがき苦しみながら勉強をしていたが学校の授業についていける水準に遠く及ばない状況がずっと続いた。勉強以外の多くのことを犠牲にしたのに結果としては表れず、後に友人からはひたすら後ろを向いて勉強しているようだったと言われた。自分の現状に不満を持ち悲観していたものの、有効な手だてを見つけられず、というより見つけようとせず、貴重な中学高校での時間を無駄に過ごしていたような気がする。


結局最後までうまくいかないままで入試を迎え、センター試験ではこの年にしてはそれほど悪くない8割近く得点したものの、あまり入試の状況のことを理解していない時だったので結果を悲観し、センター試験の得点の割合が低くより対策が不十分な二次試験の得点の割合が高い学部に出願し、直前の期間も学校に通って自習をしたり授業を受けたりと当時の自分なりには頑張っていたが、残念ながら及ばなかった。


私立大学に行くつもりはなかったので、予備校に入ることになったが、この時点でもまだ自分の状況、何が理解できていて何が理解できていないのかということすら把握せず、ただただ時間を無駄にしていたように思う。合格最低点から30点差ほどであったため、予備校で一年間授業を受ければなんとかなるだろうという甘い気持ちもあったのかもしれない。


そんな中受けたセンター試験は現役の頃の点数にも及ばない結果となり、二次試験までの1か月間は半ば戦意喪失した状態で過ごしていた。結果は明らかである、合格最低点に130点以上及ばない大惨敗。京都大学だけでなく、後期日程で受けた大学や私立大学もことごとく✕で、挙句の果てには仕方なく残留することとなった予備校で1年通して在籍していた上のクラスから転落してしまった。

◎一年で京大へ、浪人に失敗したその後の過ごし方


さすがに堪えて反省し基礎から徹底的にやり直そうと考えて学習に臨む姿勢が変化した。落ちたクラスでは上のクラスと比べるとより基本的なことから丁寧に教わったことで忘れていたこともあらためて復習でき、個人的にはこちらのクラスのほうが合っていた。


上のクラスは基本的なことはすでに分かっているという前提で授業がすすめられていたため基礎すらままならない状況ではついていくのが困難で、結果につながらないのは今思えば当然のことだった。基礎からやり直したといっても点数という形で表れるまでには時間がかかり、苦しい1年を過ごした。特に今でも強く印象に残っているのがセンター試験の国語と英語で、特に英語に関しては1年通して現役のときや1年目と比べて芳しくない状態が続き、最後の最後まで過去問を解いたり模試の復習をしたりしてあがいていた。

◎京大を浪人して落ちた瞬間、多浪の中で見えたもの


センター試験の1か月前の最後のセンター型の模擬試験で国語が急上昇し、他の科目の伸びもあって第一志望学科である食品生物科学科の判定がA判定まで1点のところまで来た。よしいける、手応えをそこで初めて感じた。そこからセンター試験本番まではひたすら過去問演習を繰り返した。使っていた本にはそれほど多くの年度の過去問が掲載されてはいないものだったが、同じところを何度も納得がいくまで繰り返すことで精度を高めていった。


センター試験は特に1日目は気合が入っていて、最初の社会(地理)であまりにも緊張していたことに可笑しくなって気分がほぐれたのがよかったのだろうか、山場の国語も何とか時間内に解き切ることができ、その後も調子よく乗り切ることができて、得点は1年前からなんと120点以上も上昇した。ついに戦える点数に達したのである。


二次試験までの1か月は知識があいまいな生物の問題をもう一度やり直し、講習も利用しながら京都大学の形式に慣れつつ抜けている事柄の最終確認をした。そして迎えた二次試験本番。1年目に担任をしていただきその後遠方に転勤となった方が京都大学まで応援に来られていて、力が入った。二次試験は試験時間が長いとはいえそれでもやりくりに苦労していたが、緊張の中英語と国語でぎりぎり間に合い、理科もできることろはしっかりと取り組めていたと思う。数学は例年より難化したといわれていた中、4問答えまで合わせることができた。


「ある」か「ない」かどちらかというと「ある」と思って見に行った発表、そこに自分の受験番号はなかった。頭の中から血の気が失せ、生協の箱を持つ合格者を横目に冷たい風をあびて帰宅した。中期で受けた大学には合格したものの行く気にはなれず、予備校に残留することになってしまった。


ずっとどん底の気分で過ごす日々が続いたが、得点の開示を見て少しばかり救われた。合格最低点まであと2.35点だった。もったいないという気持ちもちろんあったが、前向きな二つの気持ちの方が強かった。一つはもし合格最低点を超えていたとしても第一志望学科には入れていないのだからこの一年でその水準に到達しようという気持ち、もう一つは一年間で130点程上がったのだから勉強の方法は間違っていないし決して手の届かないものでもないという気持ちである。以前に比べると自分を謙虚に見つめられるようになり、物事を前向きに捉えられるようになっていた。

◎浪人で辛いときは秋、メンタルが耐えられないときには…


3年目にもなると、授業の受け方もだんだんとわかってきて、これまで板書を写すだけだったのが講師が口頭で説明するものの中で重要だと思った内容をメモすることを無意識のうちにできるようになった。予習・復習も他の人と比べると良いとは言えないかもしれないが随分と改善した。


何より励みになったのが努力が結果として目に見え始めたことである。予備校では模擬試験のほかに毎週理系科目の小テストがあったのだが、3年目は成績上位に食い込むことも多くなった。そして五月末に受けた模擬試験で初めて第一志望の欄にAがついた。


しかし夏から秋にかけて現役生や予備校で新たな形で学習をして力をつけてきた高卒生の追い上げを受け、1学期にはB判定かA判定だった模擬試験の成績が2学期に入ってついにB以上のラインから陥落、その後上下はあるものの全体的にみると低下していった。特に、1学期に成績を押し上げていた英語が徐々に足を引っ張る科目になった。「また落ちるのではないか」という不安が募ったが、むやみに新しいことに取り組むのではなく、予備校の授業の予習・復習や試験演習の復習をなるべく抜けなく行うことに専念した。

◎共通テスト後の二次対策にいつからはない、勉強内容とモチベーションが生み出した覚悟


センター試験はずっと苦手にしていた国語が思いのほか早く解けて初めて10分以上残して一通り解くことができた。しかもかなりの手応えで、その後の科目にも気分良く取り組めた。センター試験は試験の間がそれほど長くないので気持ちの切り替えは難しい。だからこそ一番の山場がうまくいったことは大きかった。手応え通り自己最高得点となり、大惨敗した2年前のほぼ倍の点数になった。


しかし国語が苦手な(他の科目もそうだが)人がこれほどまでに躍進した試験である、喜びはつかの間だった。2016年度は平均点がかなり高く、高得点を取って普通の水準という試験だったのだ。国語は自己最高得点であったが、他の科目は1年前と比べて上がったものもあれば下がったものもあり、特に傾斜配点の大きい社会(地理)で苦戦したことによって結局全体の点数は1年前と同じくらいだった。一方理系が最も点数を落とす国語でそれほど差がつかず、周りは社会もそれなりの点数にまとめてきていたため、大きな差ではなかったが自分を上回った人は多くいた。


判定は前年よりも悪いD判定となってしまった。でも今思えばこの判定が出て良かったのかもしれない。センター試験が終わってしばらくは志望校を決めるのに時間がかかったり、センター試験のマーク型の問題ばかり解くために二次試験の記述型の問題への対応力がなかなか戻らず、また直前になると焦りなども出てくる。そのため実際に落ち着いてできる期間がほとんどなく、時間が貴重になる。油断することは決してできず、また諦める必要もない判定だったことで、いい意味で開き直ることができ、進学する可能性が全くなかった私立大学の受験も一切しなかったことで、自分なりには最大限に時間を有効に使えたと思う。これまでずっとやってきていた二次試験対策、三年目に特に時間をかけた理系科目は結果としても出てきていたので心強く、過去問演習を中心に最後の調整をかけた。


二次試験当日、試験会場に入る前に、偶然一年目にお世話になった方と高校時代の担任に出会った。そこで私は、京都大学の受験は今回で最後にすると宣言した。ここまでやってきたのだからこれで無理なら諦めよう、という自分なりの覚悟だった。


試験はあっという間に終わった。数学ではおそらく部分点が付きにくく、零点か満点という大きな差となるであろうと思われる問題が一番最初に方針が浮かんだことで一気に調子が上がり、前年まではいかなかったが、満点の自信のある問題を複数確保できた。英語は自由英作文が出題されるなど傾向が変わり、傾向が変わったことそのものには試験前に問題用紙が配られた時点で表紙の内容から気が付いたため、試験中に動揺することはなかったが、やはり力が落ちていたのだろう、特に要約の部分は見る気もなかったが目についてしまった解答速報とはかけ離れた内容を書いていて、記号もほとんどわからず、勘も及ばなかった。言語は特にであるが、使う機会がないと鈍っていくものである。日々何らかの形で触れることが大切だと思う。


予測していても思い通りいかずに冷静さを欠く試験本番で特に気を付けたのは、目の前のことに集中することである。終わった試験のことは確かに気になるが、次のことを考えようと割り切って振る舞えるかどうかでその後の出来も変わってくると思う。幸い試験本番は間が長く、切り替えをするには充分であった。


気になる部分を復習する時間もとったが、気持ちの切り替えの方を優先した。前年は一日目の試験の後に予備校によって勉強をしていたが、今回は寄らずに気分転換に時間を費やした。これまでこれだけやってきたのだから大丈夫だという自信があった。そして最後は気持ちだと思った。三時間ある最終科目の理科、残りが三十分だと告げられた時、小さな声で叫び自分を奮い立たせた。「いけーーーー!!!」

◎京大農学部合格体験記~雨の京都大学合格発表~


発表の日は大雨で時間になってもなかなか行く決心がつかず、インターネットで見てしまおうかと思ったが、自分がこれまで過ごしてきた九年間の集大成、憧れの場所でその現実を受け入れようと思い大学まで出かけた。道中もずっと胸部から腹部にかけて痛かった。京大農学部前というバス停に行くバスに乗り、アナウンスが一つ遅れであったため京大農学部前の放送を聞いてから降車ボタンを押そうとわざわざ次のバス停まで行って戻ってくるこだわりぶりだった。


自分の受験番号681と第一志望学科である食品生物科学科を表す記号Fを見つけたとき、その現実が信じられなかった。今まで発表を見に来て自分の受験番号がないということばかりだったので、あるという現実が受け入れられなかったのだ。念のために近くの京大生に見てもらって、確かにあると言われても、生協からの合格者宛ての箱を受け取りに行って周りにいた人から祝福を受けてもあまり実感はわかなかった。京都大学の学生になったんだという実感は入学式の前日にとあるサークルの新入生歓迎会に参加した時だった。


ただ、嬉しかったのは、本当に多くの人が自分の合格を喜んでくれたこと。祝電を親戚、メールを送った一分後に電話をかけてきた中学以来の盟友・・・自分以上に合格を喜んでいた。特に報告に行った時に泣きそうな顔で駆け寄ってきた予備校のクラス担任のことは忘れられない。多くの存在に支えられてつかんだ新たな始まりであった。

◎京大合格体験記のブログのタイトルを『はじまり』とした理由


長く時間がかかりながらも自分の憧れていた場所にたどり着いた今、私は幸せをかみしめて日々を過ごしている。苦労してここまで来たのだから、いろんなことをいろんな形で学び、今後生きる上での糧にしていきたいと思っている。大学は、どこにでも当てはまるわけではないだろうが、自分の好きなように選択できることが増える。場合によってはひたすら怠けようと思えばできないわけでもない。私自身もしばらくゆっくりしたいという気持ちがある。


しかし一方で厳しい環境へあえて身を投げ出してみたいと思う自分もいるようだ。実際、自分でも驚くほど積極的になっている。講義の枠には含まれていない「聴く・話す」に特化した英語講座を受講したり、講演会に足を運んでみたり、それほど興味はないことをしているサークルに会員の意識の高さに惹かれるものがあって入会をしてみようとしたり・・・


実際にやってみてうまくいかないことも多いのだが、そういううまくいかないことを経験するのもよりよい人生にしていくには必要なことなのかもしれない。忘れてはならないと思っているのは、大学合格と進学は終わりではなく始まりであるということ。大学に入ってそれで終わりにするのではなく、いろんなことに挑戦して自分を高めて、今後の人生をより豊かなものにしていけたらと考えている。


長くかかった者の立場では勉強の手助けとなるようなことを伝えることは残念ながらできない。しかしそういう過程を経た者だからこそ言えるのは、自分の実現したいことがあるのならたとえ時間がかかっても自分が納得のいくまでやりきるべきだということである。時間を多くかけたところで実現するとは限らないし、最終的に犠牲ばかりということもあるかもしれない。


でも何もしなかったことを悔やむよりはいいだろうし、一見何も得られていないようでも実現のために努力をした経験というものは何らかの形で後々に役に立ってくるものである。


こうして長く苦労した日々は今では宝になっている。時間がかかったことで失ったものも多かったが、逆にこれ以前に進学していたら得ることができていなかったものを多く得ている。また今後大学生活を送る中でも今までだったら機会があってもつかめなかったものを得ることができると思う。そういったことをなるべく生かして、一度限りの人生を悔いのないように生きていきたい。

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